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多くのことが、裏と表の二面性を持っている。
愛と憎しみが紙一重だと言うように。
それは0か100の思考であるように感じられて、とてもこわい。

物事を考えるときに我々は言語を使うが、そのためには、物事を定義する必要がある。
「愛する」とは、「感謝する」とは、「優しさ」とは、「賢さ」とは。

しかし実際には、この定義は非常に曖昧で、どういう状況が「愛している」で、どういう状況が「愛していない」のかは明確ではない。
だから人の世では、他人の物差しで物事をはかったり、価値観を押し付け合うという事態が起こる。
さらには「愛」というものの存在すら危ぶまれることになる。
(この定義が万人の元に共通していてかつ明確なものでない限り「愛している」と「愛していない」は同義になりうるからだ。)

そのことが今日うまく説明できなかったのだが、若松英輔著のエッセイの中で、良い一節を見つけたので拝借しようと思う。

「愛するとは、それが何であるかを断定しないまま、しかし、そこに語りえない意味を感じ続ける営みだとはいえないだろうか。」